今週のお題「試験の思い出」。
私がこれまでに取得した資格を振り返ってみました。
・電話級 アマチュア無線技士 (平成2年)
・普通自動車第一種運転免許 (平成8年)
・専修学校教育振興会 情報処理活用能力検定(J検) 3級 (平成9年)
・日本情報処理教育普及協会 情報処理技術者能力認定試験 2級 (平成9年)
・日本情報処理教育普及協会 C言語プログラミング能力認定試験 3級 (平成9年)
・専修学校教育振興会 ビジネス能力検定(B検) 3級 (平成10年)
・日本商工会議所 簿記検定試験 3級 (平成10年)
・全国経理学校協会 簿記能力検定試験 2級 (平成10年)
・通商産業省 初級システムアドミニストレータ (平成12年)
・神奈川県 訪問介護員2級 (平成13年)
・神奈川県 障害者(児)ホームヘルパー 2級 (平成13年)
・IC3(Internet and Computing Core Certification)2005スタンダード (平成18年)
・IC3(Internet and Computing Core Certification)認定インストラクター (平成18年)
・フォークリフト(1トン以上) (平成19年)
・スタッカークレーンの運転に関わる特別教育 (平成19年)
・大型自動車第一種運転免許 (平成26年)
・牽引自動車第一種運転免許 (平成26年)
・大型自動車第二種運転免許 (平成26年)
こう並べると、それなりの資格を取得しているんだなーというのが、自分のことですが感じてしまいます。
この中で、試験の思い出深いものは、「牽引自動車第一種運転免許」と「大型自動車第二種運転免許」だと思います。
「牽引自動車第一種運転免許」
どうバックしても、真っ直ぐにバックができないんです。なんで???の繰り返しでした。おまけにギアは大型車と逆だったし。(左上がRなのが、なぜか左下がR。)そして、何よりも卒業検定。実は、方向転換の際に、縁石にガツンと当たってしまったんです。その時に同時に思いっきりブレーキを踏み込んだので、ブレーキの振動と勘違いしてくれて、試験続行となったという、変な曰く付きなんです。それが忘れられない出来事でした。
「大型自動車第二種運転免許」
学科があるんですよね・・・。適性検査の結果が面白い結果でした。確か、5段階で数値が出て、小さければ小さいほど良いと言われていました。普通は、1〜5なんですが、私、なんと「0」。教習所の教官もビックリ。
学科も実技も順調にこなせ、大型自動車第一種運転免許・牽引自動車第一種運転免許と同じように定められた時間数で卒業できましたが、その実技の教習の中で、教習車のバスは5速までしか無いのに頑張って6速を入れようとして「あれあれあれ???」となっているところに教官から「それ以上無いよ」と言われたことが、とっても恥ずかしかったです。
また、坂道発進では、普通の大型車の感覚ではダメだということを教えてもらえず、「なんで坂、上がらないの???」と言ってしまったこともありました。その結論は、「エアコン全開」だとパワーが足らなくなって、クラッチを離していても、坂も下がらなければ上がりもしない(アクセル踏んでもダメ)ということに気付くまで、時間がかかってしまいました。それならそうと、最初に言うなり、教官の方でエアコンの調整してよ〜!って思っちゃいました。
学科の勉強は、会社の昼休みや寝る前の夜、土日祝日に猛勉強をしました。あんなに勉強したの、たぶん、無いです。学校の入試にしても、ずっとエスカレーターのように、簡単に進んでいましたから。(笑)
そして、(私は神奈川県なので)二俣川の試験場では、それだけ準備を万端にしていたのに、緊張しすぎてお手洗いが近いこと近いこと・・・。結果、一発合格でした。
この2つの免許を取得した時のことが、今になっては良き思い出となっています。
あと1つ、「試験の思い出」を取り上げるとすれば、今の会社の入社試験でしょうか。
後から聞いた話ですが、倍率がなんと50倍(1名の枠に50人が応募していた)ということです。この倍率にも印象深く感じています。(入社後に、SPI試験の結果を見せられた時、非言語系が満点なのには驚いてしまいましたが、それ以外の点については、特に印象が残っていません。)